緑慎也の「ビル・ヘイビーっち覚えとって」

科学ライターですが、科学以外のことも書きます。

ILCの正念場

2003年か04年と思われますが、リニアコライダーに関するシンポジウムを見に行きました。会場は東大本郷キャンパスの山上会館。昔のことなので記憶が曖昧ですが、たまたま近くを通りかかり、看板でも見つけてふらっと中を覗いてみたんだと思います。当時は暇を持てあましていました。

シンポジウムの内容はほとんど覚えていません。でも、小柴昌俊氏が現れた場面は強く印象に残っています。どなたかの講演中に、小柴氏は会場前方の入口から杖を突きながらゆっくり現れ、最前列に座ったのですが、さすがノーベル賞受賞者。凄まじい威光で、小柴氏が姿を見せた瞬間、会場が緊張に包まれ、周囲の温度が1度くらい下がった気がしました。

どうやらそのシンポジウムは一般向けと言うよりは、高エネルギー物理学の研究コミュニティ向けで、私のような一般客はほとんどいません。そのことに気がついたのは、シンポジウム後の懇親会に参加したときです。「軽食が出る」という言葉に釣られて来たものの、妙なところに紛れ込んでしまったもんだと思いながら、サンドイッチなどをつまんでいると、再び会場が静まりかえりました。小柴氏が乾杯の挨拶に立ったからです。

小柴氏は、ここが正念場だから頑張り給えといった趣旨の話をされました。テレビで見せるニコニコ顔はなく、若手に「奮起せよ」と発破をかける「親分」としての凄みがありました。聞いている方々も、小柴氏に目線を合わせたまま微動だにしません。部外者の私ですら緊張したほどです。

前置きが長くなって恐縮ですが、あれから十数年、リニアコライダー計画が本当の正念場を迎えています。

昨日(5月31日)、リニアコライダーコラボレーションと2018アジアリニアコライダーワークショップによる共同会議が福岡で開催され、ILC福岡宣言「国際リニアコライダーの実現を目指して---更新版」が採択されました。ILCは国際リニアコライダーの略です。*1

www.kek.jp

この声明を要約すると、計画を縮小してコストダウンするから、日本政府よ、計画にゴーサインを出せとは言わないが、せめて前向きに検討するとか積極的なメッセージを出してくれ、となります。

どうして「ゴーサインを出してくれ」と率直に言わず、「積極的なメッセージ」を求めるところでとどまっているのか。

察するに、日本政府に「イエス」「ノー」を強く迫って刺激すると、「ノー」と言われる公算が、少なくとも現段階では高いのでしょう*2

それならこれまで通り先延ばして、時期が熟すのを待てばいいわけですが、問題はいつまで待つかです。

高エネルギー物理学の研究者らが懸念しているのは、「欧州戦略」と呼ばれる5カ年計画です。欧州戦略に基づき、ヨーロッパ各国はさまざまな研究計画の予算配分を決めますが、これが、来年(2019年)、策定される予定です。

もしILC計画からヨーロッパが抜けると、少なくとも5年はILC計画の停滞が余儀なくされます。ILC関係の研究者らにとって最悪のシナリオは、欧州戦略のリストからILCが漏れ、ILC計画が頓挫してしまうことです*3

日本政府にゴーサインを迫って「ノー」と言われるのは嫌だから先延ばしするにしても、欧州戦略から漏れて5年も無駄にするのは耐えられない。そんな苦渋の思いが、今回の声明に込められていると考えられます。

*1:ILCで計画される実験は、(1)余剰次元があるのか、(2)超対称性粒子があるのか、(3)マルチバースなのかという3つの理論的な選択肢を1つに絞れるように注意深くデザインされています。1つに確定できれば、われわれの宇宙に対する理解は格段に深まります(ノーベル賞間違いなしです)。

*2:これまで日本政府は公式のメッセージを発していません

*3:フリーライターにとって出版社の刊行計画から自分の企画が落とされてしまうと辛いという事情と似ています。書くのが遅い私の場合は自業自得ですが